2009年度 社会文化システム学科
2年ゼミ フィールドワーク・オリエンテーション――地域を歩く
 フィールドからの一葉
コース4 寺町≠ニ街づくり(白山上→本駒込→谷中→千駄木)

教員のフィールドノーツ
 キャンパス→(大観音通り=バス草63ルート)→森鴎外旧居跡(現記念図書館)→(藪下通り)→根津神社→(表参道・藍染大通り)→澤の屋旅館→(ヘビ道=旧藍染川)→「いせ辰」そば→(三崎坂)→谷中霊園→谷中地区<築地塀→防災ひろば「初音の森」→よみせ通り→谷中銀座商店街→ゆうやけだんだん> 所要3時間弱
 ・地形概況図と明治期の地図でコース概要を頭に入れて出発、高層マンションの建設が進む様子、昭和期に栄えた商店街の名残を観察(大観音通り)して、団子坂上の鴎外旧居(観潮楼)跡=東洋大の国際交流会館向い=まで。
 ・台地の縁から(明治時代に)海が望めた様子を想像しつつ、根津神社へ。「つつじ祭り」が始まっ他ばかりで、花はちらほら。このへんから、木造の古い町家が見え始める。江戸時代のつもりで参堂を(不忍通りを渡って)古い家並みが残る藍染川河岸跡へ。小さな印刷屋さんが一軒、稼動中。下町の甘味処として知られる「芋甚」でアイス最中を食べて休憩。
 ・川向こう台東区側の「澤の屋旅館」は、Visit Japanが流行る前から、安く手軽な日本旅館として外国人宿泊者が80%を超える有名な、小さな宿(「観光カリスマ」選定)。 文京区と台東区を隔てる藍染川の上(へび道)をくねくねと谷中へ。
 ・谷中地区は、三崎坂の景観保全として、住民の反対意見を受け入れて低層化、デザイン変更したマンション、おとなしい外観のチェーン店や交番、パンフレットで有名な「築地塀」周辺の電線地中化などを見学。一方でお寺や住宅の耐用時期や防災上、立替が必要な状況を理解して、行政との連携で実現した「防災ひろば」の住宅密集地の中で別世界の緑地を眺める。
 ・最後に台東・荒川・(文京)3区にまたがる「谷中銀座商店街」。狭くて車が入れないコンパクトなところに、観光客向け、地元民向けの商店が並び、繁盛しているところ。谷中の景観保全・街づくりや谷中銀座の意匠には近くの東京藝術大学の協力がある。お客が増え始める時間で団体だと邪魔なので、お腹がすいたら肉屋のメンチカツなどを食べつつ、自由散策して、解散。
 ・聴き取りを予定していた谷中の方が本業の事情でキャンセルとなり、歩く部分を増やした「ウォーキング」。好天で高低差を何度も体感しつつの2時間以上は、教員は翌日疲れましたが、参加者はけっこう余裕そうでした。自分の町と対比したり、古いものに興味引かれたり、の様子でした。古い町から新しい町に変化する景観と、そこに関わる「人」について伝わればいい名と思いつつ。(小林正夫)
 学生のスナップショット
今も営業している、貸本屋と牛乳屋。地元にはないので思わず撮りました。(本間) ワンショット(盛)
台東区から見た文京区。(岡本) 昔の町並みをとても大切にしているのを感じました。
(吉田)
 谷中霊園は東京都が管理する霊園である。この霊園には墓地の陰湿な雰囲気はなく、どこか明るくて人々に親しまれる霊園である気がする。15代将軍徳川慶喜公をはじめ様々な著名人の墓があり、また春になると桜が美しく花見の名所となる。
 かの有名な「ゲゲゲの鬼太郎」の墓場のモデルでもあるらしく、そういった点でも谷中霊園は、ただの墓場におさまらない下町・谷中の情緒を感じとることができる場所であると思う。(西)
夕日がきれいに見える場所です。(渡部)

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「江戸の人々と娯楽としての参拝」
 今回私が見学したのは多くの寺社が建ち並ぶ千駄木・谷中界隈でした。その内のひとつである根津神社では、つつじの花は見頃を迎えており、祭りが行われていました。その様子を見る中で、大学の近くの白山神社でも似たような行事が行われていることに気付きました。白山神社では毎年六月頃にあじさいまつり≠ニいう行事が行われますが、根津神社の場合はつつじまつり≠ナあり、主役の花が違うものの花を観賞するという趣旨は共通していました。
 この地域のほとんどの寺社が建てられた江戸時代、人々には仕事の合間を縫って寺や神社を参拝する習慣があり、寺社とその周りの町は行楽地としても賑わったそうなので、この二つの神社でつつじやあじさいが育てられているのは参拝に来た江戸の人々に楽しんでもらうためであり、当時の人々は花等の自然の景観や季節の移ろいを味わうことを好み、そのための一種の娯楽として寺社への参拝をしていたのではと思いました。また、それは当時の人々のほとんどを占めていた農民の豊かな作物をもたらしてくれる自然への尊敬と関心が反映されていたのかもしれません。
 遠い昔の人々の感性を少しばかり味わえた気がする見学でした。(清水)